作成日: 10/05/08
修正日: 10/07/28
公衆衛生の問題が難問である理由
不確実性との付き合いは特別なことじゃない
事実を大切にすべきだと思うけど、事実が何かわからないということ?
観測したデータや未来を予測する計算結果の解釈は注意が必要ということだね。
データの解釈には価値観が付きまとい、価値観は多様だから社会問題の解決は難しいということ?
それ以前に、データには不確かさが付きまとうから、母集団の特性の推定には限界があるということだそうです。
それが「蓋然性の論理」ということね。統計学的なセンスが必要と言うことね。
緒方裕光先生によると、現象が決定論的に説明できない限り、不確実な要素を積極的に受け入れていくのが現実的であることから、統計学的な考え方は社会において不可欠だそうです(SPSSによる統計データ解析)。
「必然性の論理」が成り立たないのは、量子力学のせいなのかしら。
メカニズムがよくわからない場合には現象から推測する現象論的なアプローチでしか定量的に議論できない。それに引き替え、メカニズムがわかっている場合には、決定論的なアプローチで議論できる。一方、確率分布はこれらの議論において両方に用いられる。例えば、「確定的影響」が生じるかどうかは全体的な観察結果などを基にした確率分布を使ってしか定量的には議論できない。また、決定論的な事象であってもそれぞれのメカニズムが確率的にしか表現できないことがある。
科学的根拠を判断の材料に使うのも大変ね。
科学的根拠を得ることや利用することには当然限界があるし、あまりに細かすぎると運用できなくなるので、ルールを作るときには、ある種の割り切りが必要。
どこまでが科学的根拠に基づいていて、どこからを割り切って考えたかをわかるようにしておくと学生の混乱を防げそうね。
でも、社会での様々な現象が、同じような構造で分析できるのは不思議だ。
社会問題の解決には本質的な困難さが付きまとっていて人類が解くのは不可能なのかしら。
難問であっても、とりうるよい解決策に至るしかないと思う。
放射線安全の課題が「特異的に」難しいのは、蓋然性と価値観の多様化であるとすると、
・ 蓋然性は原理的に超えられない
・ 何らかの価値観で統一されることは悲観的
だから、未来永劫解けないように思えてしまうわ。
そもそも「論理的に議論」していれば、問題は解決するのかしら。
論理性はロジックのベースにあるとして、それぞれの“多様化された価値観”を尊重しつつ、お互いがわかりえるかどうかは、リスクコミュニケーションのお話になりそうだね。
このNPOはそれを実現しようとしているから、続編に期待して欲しい。
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